スウェーデンに家族と共に移住したエンジニアのブログ

娘の教育と妻のキャリアの為にスウェーデンへ移住。

アウシュビッツ強制収容所訪問記録

ストックホルムへ家族で移住し、現地企業 Öhlins Racing ABでエンジニアとして働く傍ら、スウェーデン企業への転職・移住サポート事業LIV INNOVATIONの代表を務める1981年生まれの38歳、二児の父親です。

 

まえがき

今回の内容はかなりヘビーです。アウシュビッツのことをあまり知らない方は、今回の記事を読むとかなり暗い気持ちになるでしょう。

 

但し、地球上に生きる人類としてこの歴史的事実から目を背けてはいけないと思っています。また、第二次大戦でドイツと同盟を結んでいた日本としては決して他人事では語れないことではないでしょうか。

唯一の被爆国であり、戦争の痛みが分かる国民なのであれば尚のこと、日本人はアウシュビッツで何があったのかを知っておくべきだと私は考えています。

 

アウシュビッツの事はググれば沢山出てきますし、何も私がこのブログで書く必要もないのですが、私自身の旅の記録と、一日本人として私が感じたことを後世に残すべくブログとして残しておくことにしました。

 

 

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この写真をどこかで見たことはないでしょうか。これはアウシュビッツ強制収容所に引き込まれた線路です。

 

ここに連れてこられた人がどういう人で、何人いて、そこで何が行われたのか。

 

本記事ではこれらについて解説していきます。

 

ネットでの情報は多少参考にしましたが、ネットの情報を集めたまとめサイトにするつもりはないので、私がガイドから聞いた話を元に全て自分の言葉で書いています。時々聞き取れなかったり、誤解しているところもあるかもしれませんが、その辺りはご容赦願いたいと思います。

 

写真は全て私が撮影したもので、被写体は全て撮影が許可されているものです。

 

 

本編

先日、9月11日の水曜日にアウシュビッツ強制収容所へ行ってきた。翌12日の木曜にGliwice(アウシュビッツから車で1時間程)の取引先へ訪問予定があり、早めの前日入りをして14:00からのツアーに参加した。

 

ちなみに、ツアーのチケットはこちらで購入可能。

Auschwitz-Birkenau: Fast-Track Ticket & Tour no Transport - Krakow, Poland | GetYourGuide

 

本家のウェブサイトVisiting / Auschwitz-Birkenauでも購入可能だが、1週間前に予約を試みたが既に売切れ。上記Get your guideでは若干チケットに残りがあった。

日本語のガイドも1人だけ存在するようだが、私は同僚もいたので英語のガイドを予約した。値段は約3000円程度。20人程のグループで各自ヘッドセットを装着し、ガイドの話を聞きながら展示物や建物、景色を見ながらここで何が起きたのかを一つ一つ理解していった。

 

さて、そもそもアウシュビッツはどこにあるのか。実はポーランドにある。

 

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ポーランド語ではOświęcimという地名。これをドイツ語読みしたのがアウシュビッツなのである。

 

 

何故この場所か?

 

 

それは欧州大陸の中心に位置し、各地からユダヤ人を集めやすいという地理的な理由があった為。極めて合理的な理由があったのだ。

 

ストックホルム空港を10:30に出てポーランド南部のKrakow空港に着いたのが12:30。アウシュビッツまでは車で1時間ほどかかる。またツアー開始15分前の13:45に入口に集合しなければならない。時間的に余裕が全くない。

 

予約しておいたレンタカーに急いで乗り込み、高速道路をひたすら飛ばした。途中、トイレ休憩を挟み、いよいよアウシュビッツまであと少し、ナビによれば到着まであと5分。しかしこの時既に13:55。

 

マズイ。

 

メールにあったガイドの携帯電話へ直接電話をし、待ってもらえるようにお願いをした。

 

「他にもツアー客がいるからあんまり待てないよ」

 

とのこと。そりゃそうだ。道を間違えないように慎重に、かつ急いだ。

 

駐車場から走った。走りまくった。ガイド無しでも入ることは可能なようだが、待ち時間が長いのと、何より歴史的事実をしっかりと理解したかったのでどうしてもガイド付きツアーにこだわっていた。

 

滑り込みで間に合い、同僚と握手をし、息を切らしながらツアーが始まった。


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天気は快晴。これから3.5時間の長いツアーが始まる。水は必需品。立ちっぱなしだし、よく歩くし、階段の昇り降りもあるし、夏場は暑いし、とにかく体力的にキツイ。加えて精神的にもかなり辛くなる。アウシュビッツに行くのであれば体調は万全に整えておくべきだ。

ちなみにおよそA4より大きなカバンは持ち込めないので入口付近で預かってもらう。我々は事前にこの情報を得ていたので荷物はペットボトルの水一本。ちなみに間違えて買った炭酸水だ。最悪だ…。

 


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まずはヘッドセットを装着。同僚の笑顔を見たのがこの時が最後だ。彼も初めての訪問。

 


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ここがアウシュビッツ強制収容所の入口。収容所は全部で3箇所ある。ここは1箇所目で2箇所目のビルケナウが冒頭の写真の線路が引き込まれているところだ。

 


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早速ガイドが当時の状況を淡々と説明をする。この時はまだ精神的に余裕があった。

 


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Arbeit macht freiとは、ドイツ語で「働けば自由になる」の意。当然嘘である。

 


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敷地内にはこうした建物がズラリと並んでおり、収容者の寝泊まり、病院、厨房などいくつかの機能があった。これらの建物は当時のまま。復元ではなく、この地、この場所で虐殺が起きていたのだと思うと好天とは裏腹に複雑な気分になる。

この後建物を一つ一つ巡り、展示物を確認していった。

 


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まずは地理的にアウシュビッツがどのような位置付けだったのかの説明。写真の地図の通り、ユダヤ人が欧州各地の都市から連れてこられた。

 


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アウシュビッツ強制収容所へは、合計130万人が連れてこられた。

ユダヤ人 110万人

ポーランド人 14〜15万人

ジプシー 2.3万人

ソビエト軍の捕虜 1.5万人

様々な国の民族 2.5万人

これらの内110万人がアウシュビッツで亡くなった。90%がユダヤ人であり、ナチス親衛隊は主に毒ガスで殺害をした。

 


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アウシュビッツへ到着後、ガス室へと進む人達を撮影した写真。カメラ目線の少年は正装でしっかりと母親の手を握っている。ガイドの話を聞きながら、私は涙をこらえていた。

 


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収容所内で起きた"事件"を報告するカード。

 


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旧ソ連軍の捕虜。彼らもアウシュビッツへと連れてこられた。

 


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続いてこの部屋。THE ROAD OF DEATHを目にしてより緊迫感が増す。

 


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今回のアウシュビッツの訪問を通じて最も衝撃を受けた写真だ。写真左下のタイトル"ON THE WAY TO DEATH"。私の子供達とさほど変わらぬ年齢の子供達が手を繋ぎ歩いている。

彼らはアウシュビッツ到着後、ドイツ人の医者により"仕分け"をされ、労働力の無い"価値の無い人達"と分類された。

妊婦や子連れの母親、幼い子供、病人、老人は皆、到着直後にガス室へ直行となった。

 


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これが仕分けをしている写真。ガイドは淡々と話すのだが、あまりの悲しい話にこの辺りから私は非常に気分が悪くなり、しばらくヘッドセットを外し外を眺めていた。

同時に、何故人間がここまで非道なことができるのかと考えていた。そして急に子供達と会いたくなった。

 


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ガス室での虐殺を模型にした展示。

 


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収容者はナチス親衛隊から「シャワーを浴びるだけ」と告げられて脱衣所で衣服を脱ぎ、身につけていたものは各自所定の位置に置いた。シャワーを浴びて再びここへ戻ってくることを信じさせることで死を予感させないようにし、パニックを起こさない為であった。

だが、そのシャワーこそがガス室での虐殺であったのだ。

 

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これが毒ガスが入っていた缶。サイクロン Bというガス。

 


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到着後に没収されたスーツケースの山。どこに連れていかれるか分からなかった彼らはこのスーツケースに大切なものを詰めていた。高価なものが多数含まれていた為、ナチスに没収された。

 


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靴。この時、誰も言葉を発していなかった。

 


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これは収容者の写真。生年月日、収容された日と亡くなった日が書かれている。

 


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反対側は男性。

 


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こちらは髪の毛が短いので一見男性かと思ったら女性。髪の毛は織物の原料としてドイツ企業が買い取っていたのである。

 

アウシュビッツ強制収容所では、写真撮影が禁止のところが数カ所あった。そのうちの一つが女性の刈られた毛髪の山であった。2トンにも及ぶ髪の毛が展示されていた。異様な光景であったし、もう一度見る勇気はもうない。

 


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左の方は医者。教育水準に関わらずユダヤ人は殺害された。短い人で収容されてから数週間。多くが数ヶ月で亡くなっている。

 

 

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トイレ。

 


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寝る場所。

 


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向かって右側の建物には裁判所が入っている建物。左の建物との間に何かがある。花が手向けられている。

 


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何かとはDeath wallのこと。死の壁。ここで多くの人達が銃殺された。

 


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こちらは絞首刑が行われる場所。朝の点呼時に見せしめで首吊りの刑が執行された。

 


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敷地は有刺鉄線で囲われており、監視小屋がいくつもあった。アウシュビッツに収容された人達は周辺で農作業をしたり、工事現場で重労働を課されていた。労働中に亡くなった人を担いで収容所へ戻るのも日常的な光景だったようだ。

 


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ガス室があった建物の見取り図。

 


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あなたはナチス親衛隊が大量虐殺をした建物にいる。ここでは物音を立てないこと。ここでの犠牲者の苦しみと彼らへの哀悼を忘れないように。

 


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ここが実際に虐殺が行われたガス室。もう言葉は出ない。ため息すら出ない。

 


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すぐ隣に焼却炉。"効率の良い"レイアウトとなっている。ガス室での犠牲者を運び出すのも収容者の仕事。

 

 

ここまで2時間程のツアーであった。10分程の休憩があったが、私は空を遠く眺め、同僚とは会話をしなかった。

休憩後、無料シャトルバスで3km離れた第二の収容所、Birkenauビルケナウへ移動した。

 

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この移動の間に私はガイドと2人きりになり気になっていた質問をした。

 

それは「何故ユダヤ人だったのか」である。

 

彼の答えはこうだった。

 

第一次大戦後、ドイツは好景気でみんなが幸せだった。しかし、次第に状況は変わり景気は後退。国民の間に不満が募るようになった。また、以前から習慣が異なるユダヤ人はドイツ人から異質として扱われていた。そこへ「悪いのはユダヤ人だ!彼らは銀行を作り、うまいこと商売をやり、我々ドイツ人を苦しめている!」というポピュリズム的思想が蔓延した。そこへ現れたのがヒトラー。

こうして一気に東ヨーロッパ植民地計画と共にホロコーストが始まっていった。

 

 

10分程でバスはビルケナウに到着した。


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有名な線路を敷地の外から撮影。ちなみに1箇所目もビルケナウも入場は無料。ガイドに対してのみ料金が発生する。

 


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反対側は普通の街の光景が広がる。

 


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この門は「死の門」とも呼ばれていた。

 


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これは世界一不幸な路線と言えるのではないか。

 


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ビルケナウは広大な敷地。収容人数は20万人とガイドが言っていたと記憶している。ちなみに1箇所目は1万4000人程。

 


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この貨物列車に5〜70人が押し込められ、遠いところだと数日間閉じ込められて移送されてきた。移送中に生き絶える人も少なくなかったという。

 


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こちらは1967年に立てられた記念碑。この悲劇は絶対に忘れてはならない。絶対に繰り返してはならない。

 


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犠牲になった人達の出身国の23の言語で書かれている。当然日本語は無い。それは日本からの収容者がいないからである。

 

 


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しかしアウシュビッツではイスラエルからの高校生達が目立った。ポーランド人に次いで2番目に多い来場者がイスラエルからと取引先に聞いた。彼らが眺めているのはガス室があった場所。ナチスドイツは敗戦濃厚となった時に証拠隠滅目的でこれらの施設を破壊していった。

 


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こちらがナチス親衛隊によって爆破された後のガス室。すぐ近くには故人が埋葬されている。

 


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こちらは建物内部の様子。このダブルベット程の幅に7人が寝ていたそうだ。一番上は暖かく、上から物も落ちてこないので最もマシだったようだ。壁はレンガを積み重ねセメントで固めただけ。ところどころ隙間もある。暖房は明らかに能力不足で、真冬は氷点下の容赦ない寒さが襲ってきた。この建物は女性が収容されており、食べ物も水も与えられず、ただひたすら餓死させられた。

 


ビルケナウを1時間ほどかけて周り、ガイドの最後の挨拶が印象的だった。

ナチスはユダヤ人を標的にした。それは何故か?彼らが自分達と違かったからだ。もしかしたら肌や髪の毛の色が異なるアジア系やアフリカ系が標的になっていたかもしれない。現代ではどうだろう。地球上の人達は個々の違いを受け入れているだろうか。自分と違う人達を差別していないだろうか。宗教や人種で衝突は常に起きている。同性愛者が標的になったりもする。我々はこのアウシュビッツでの歴史的事実から何を学んでいるのか。みなさんもよく考えて欲しい。

 

私はこの話聞きながら、自身が移民としてスウェーデンで暮らしていることを考えていた。幸いなことにこれまでの3年半の生活で人種差別には全くと言っていいほど遭遇したことがない。

 

但し、いつこれが変わるかはどこにも保証はないのだ。

 

日本にだって差別は存在する。在日◯◯人のような表現は辞めるべきだ。日本で生まれ育ち、見た目も変わらないのに日本国籍が無いというだけで差別をするのは滅茶苦茶な話だ。

 

今回のアウシュビッツ強制収容所の訪問は、今までのどの観光と比べても心への衝撃は圧倒的に大きかった。

 

戦争は世界の様々な場所で今でも起きている。

 

戦争が地球上から無くなる日は来るのだろうか。

 

人類が共に理解し合い、助け合いながら生きていくにはどうしたらいいのか。

 

帰りの飛行機で同僚とこんな話をしながらストックホルムへ戻った。

 

次回はアウシュビッツに子供達を連れて行く。親として、人類として次の世代へ教訓としてこの歴史的事実を伝えることが義務だと私は思っている。

 

 

 

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